鬼さんこちら、手の鳴る方へ。
「鬼」と聞いて、どんな発想が湧きますか?
怖い?
醜い?
カッコイイ?
哀しい?
悪い?
まぁ、色々あるとは思いますが、
明るいプラスイメージを持っている方の方が少ないのではないかなと思います。
私、幼少の頃から鬼を怖いと思ったことがなく、
むしろ、好意的に思っていました。
と、今になって思い出したのですが。
鬼って、そもそも何なんだろうと思って色々調べてみたのですが、あたりまえだけど、コレという確信に迫るものには辿り着かなかったように思います。
その中で近いな、と思ったのは、
「(他所からやってきた人間からみた)先住民」
です。
なので、
「その土地の持つ想い」
に近いというか。
それが人格化したもののように思うのです。
(人の想いの集合体とも言えますが)
私たちは旅の中でその「想い」に触れることが多いのですが、旅の当初、愉快な仲間たちは
「こわいーこわいー」
言って、もー、
コワイが怖いを引き寄せてもっと恐くなって
ホントに仕事進まんといったらないというくらいに、コワイの連鎖を引き起こしていました。
さて、ちょっぴり脱線。
そんな時、私はいつも
「生きてる人間も死んでる人間も同じ!見えるか見えないかだけ!場合によっちゃ生きてる人間の方がよっぽどコワイわ!!」
と言っていたのですが、
本当にそう思っています(笑)
見えない何者かの声が聞こえるようになった時、既にそう思っていました。
鬼、という概念も人間が作ったものですから、
正解は無いと思いますし、本当の鬼とは何かは、私にもわかりません。
話は戻り。
私が鬼と思う人(?)たちは
「自分は此処に在る」
ということを伝えてきます。
それに対し、認め、要望をできる限り聞くのですが、その中で「帰りたい」という要望もあったりします。
「どこへ帰るの?」
「どこへ連れていくの?」
の話は別の機会にするとして、
そういう時は、車に付けている鈴が盛大に鳴ったり、足りない時は同行している愉快な仲間たちに音を出してもらったりします。
身ひとつで場にいる時で、鳴らすものを持っていなかったりしたら(←観光のつもりでホントに行き当たりばったりだったりすると、なーんにも持ってない事があるんだなぁ、これが笑)、手を鳴らしたりもします。
そんな時、ふと思うのです。
ありがとうございますの柔らかいイメージで
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ。」
過去があるから、今がある。
大昔からの話も、今の自分の数十年の歴史も、
みーんなそうなんだよなぁって、しみじみ思うのです。
そんなふうにみんなが幸せに想える世の中になったらイイなぁ。
愛を込めて
ふゆ