ふゆ*ユキ自分観察日記≪裏ブログ≫

アメブロの裏、です。表はこちら→https://ameblo.jp/fuyu-88/

鬼さんこちら、手の鳴る方へ。

「鬼」と聞いて、どんな発想が湧きますか?

怖い?

醜い?

カッコイイ? 

哀しい?

悪い?

まぁ、色々あるとは思いますが、

明るいプラスイメージを持っている方の方が少ないのではないかなと思います。

 

私、幼少の頃から鬼を怖いと思ったことがなく、

むしろ、好意的に思っていました。

と、今になって思い出したのですが。

 

鬼って、そもそも何なんだろうと思って色々調べてみたのですが、あたりまえだけど、コレという確信に迫るものには辿り着かなかったように思います。

その中で近いな、と思ったのは、

「(他所からやってきた人間からみた)先住民」

です。

 

なので、

「その土地の持つ想い」

に近いというか。 

それが人格化したもののように思うのです。

(人の想いの集合体とも言えますが)

 

私たちは旅の中でその「想い」に触れることが多いのですが、旅の当初、愉快な仲間たちは

「こわいーこわいー」

言って、もー、

コワイが怖いを引き寄せてもっと恐くなって

ホントに仕事進まんといったらないというくらいに、コワイの連鎖を引き起こしていました。

 

さて、ちょっぴり脱線。

 

そんな時、私はいつも

「生きてる人間も死んでる人間も同じ!見えるか見えないかだけ!場合によっちゃ生きてる人間の方がよっぽどコワイわ!!」

と言っていたのですが、

本当にそう思っています(笑)

 

見えない何者かの声が聞こえるようになった時、既にそう思っていました。

 

鬼、という概念も人間が作ったものですから、

正解は無いと思いますし、本当の鬼とは何かは、私にもわかりません。

 

話は戻り。

私が鬼と思う人(?)たちは

「自分は此処に在る」

ということを伝えてきます。

それに対し、認め、要望をできる限り聞くのですが、その中で「帰りたい」という要望もあったりします。

「どこへ帰るの?」

「どこへ連れていくの?」

の話は別の機会にするとして、

そういう時は、車に付けている鈴が盛大に鳴ったり、足りない時は同行している愉快な仲間たちに音を出してもらったりします。

身ひとつで場にいる時で、鳴らすものを持っていなかったりしたら(←観光のつもりでホントに行き当たりばったりだったりすると、なーんにも持ってない事があるんだなぁ、これが笑)、手を鳴らしたりもします。

そんな時、ふと思うのです。

ありがとうございますの柔らかいイメージで

「鬼さんこちら、手の鳴る方へ。」

 

過去があるから、今がある。

大昔からの話も、今の自分の数十年の歴史も、

みーんなそうなんだよなぁって、しみじみ思うのです。

 

そんなふうにみんなが幸せに想える世の中になったらイイなぁ。

 

愛を込めて

ふゆ


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見えない何者かの声は崇高なものなのか

私、聞こえるようになった当初は
周りが聞きたかろうが聞きたくなかろうが
ペラペラと言っちゃってたんですね。
まぁ、勇気と分別と確固たる自分のある人だと
「必要無いので言うなー!」
と言えるのでこっちも「わかりましたー」
と言うのやめるんだけど、
ホントそのあたりのコントロールが出来ずで
周りの皆様には多大たるご迷惑をおかけした次第でございます( ´⚰︎` )
とはいえ、「言って!」という方が殆どでしたが。

さて、題名の「見えない何者かの声は崇高なものなのか」ですが、数年色々やってみた結論から言うと、誰が言ってるかはともかく、

目の前で起こってることからのメッセージも
見えない何者からのメッセージも
結果同じ事を伝えようとしていることがほとんどデスよ
ということ。

もちろん自分にとっては今を生きるうえで大切なメッセージです。
見えない何者かの声が聞こえても聞こえていなくても、
前へ進もうと生きている人間なら、
ちゃんと受け取れるように出来ています。
これは、沢山のスピリチュアリスト
(この表現で合ってるのか??)
も同じ事を言っているのではないでしょうか?

では、見えない何者かの発言が崇高なのか?
について、ですが、

見えない何者かの声が聞こえることに慣れてきたある日、
はた、と思ったのです。
「あれ?これって、私には聞こえている何者かの声だけど、本当にこれって正しいんだろうか?」
と。
「あれ?これ、何かわるーい霊(←誰だよ笑)とかにさぁ、騙されちゃってない?」
とか、
「あれ?これ、聞こえると思ってるけど、単なる私の思い込みじゃない?」
とか、
まぁまぁ、アレコレそれコレ疑い出すわけです。

んで、聞くんですね、ウチの白龍さんに。
「アナタ、ダレ?」
って。大真面目に。
すると、
「別に誰でも良いけどな。信じても信じなくても良いけどな。」
と、さめーた返事をされるわけです。

基本、私に物を申して下さる見えない何者かの声は
「どちらでも良いけど、あなたのやりたいことには手を貸しますよ。どうしたいんですか?」
というスタンスです。
あぁせぇ、こぉせぇ、と言うことは(たまにあるけど)
殆どありません。
未来のどうしたら良いか、には殆ど返事してくれません。
過去の何があったのか(過去世絡み)はスパスパと返事してくれます。
但し、質問に直球で答えてくれるので、こっちも直球で質問をしなければ、帰り玉に当たって怪我をします。
日本人にありがちな含みのある表現は通じない、と言いますか…

昔、電話占いを副業にしようと思って、少しの間研修を受けた事があるのですが、練習で恋愛相談を受けた際に、
「大前提、ソレ、本気じゃなくない?」
「で、言われた通りにするの?ソレ?」
「いや、根本、どうしたいか、決まってるやーん!」
って見えてしまい、
全く時間を引っ張れず、
全く電話占いに向いてない、
ということがわかっちゃった、ということで
やめたのですが(笑)

そうなんですよね。
見えない何者かの声って、その通りにすれば願いが叶うみたいに思っている人が多いのでしょうが、

女子の井戸端会議の結果とさほど変わらんよ、
と思うのです。

わかりにくいかなぁ…

Q:いつ告白すれば良い返事をもらえますか?
A:明日ですね
▶結果:振られたんですけど?!
うんうん。
そりゃね。
そんなの、神のみぞ知るじゃなかろう?
自分のみぞ知る、だわよ。
なんの努力も無しに、いきなり話した事も無いのに
「好きです♡」
言われて「ぼくもだよ♡」
なんてさ、少女マンガの世界だって今どき無いわよ。

もし、見えない何者かの声に同じ事質問をしたなら。
少なくともウチの白龍さんにしたなら。
「しらん」
…あぁァァ、3文字で終了ぅぅぅ。

質問の仕方の正解は
「私は彼と両思いになりたい。そのためにはどうしたら良い?」
が近いでしょうか。
ね、井戸端会議でも話せそうでしょ?笑

自分の想いを掘り起こすこと=自分を知ること
に対してはとても協力的だと思います。

でもね、これって、見えない何者かの声じゃなくても出来るよ??
(さっきから同じ事ばかり言っとりますが)

結局は、自分の意思で行動を決めるように促されるだけなんですね。
ただ、過去世からの因縁なんかに対しては、ほんの少し助け舟を出してくれるので楽にはなりますが。

そんなこんなで、話は戻り、
見えない何者かの声は崇高なのか、
ですが、

私は、
自らの意志によって起こす小さな行動ひとつひとつが崇高であり、
見えない何者かの声が崇高なのではない、
と、思いますよ。

という話、でした。

だってさ、私、割と見えない何者かの声の言うこと、
聞かないもん(笑)
(注:聞かずに痛い目見ることもありますよ。念の為。)

崇高なのは、
貴方が信じる貴方自身です。

愛を込めて
ふゆ
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おひさしぶりです。ふゆです。

機種変して初めてログインしたのですが、
最後の記事が1年以上前で驚きすぎのふゆです。
しかも蠅ネタ(笑)

さて、今までまずまず濁していたのですが、
2017年初夏に突然白龍さんに話しかけられて以来、
愉快な仲間たちやら黒龍さんやらと一緒に
あちこち旅してきました。
信じられんとおっしゃる方、
どうぞ、マワレミギでお帰りください(笑)

とはいえ、私も現実を生きている人間ですので、
子のことやら、仕事のことやら色々ありまして、
しばらく人間生活に集中してみよー!
ということで、しばらくあちこちの旅や見えない方々との会話から遠ざかっていたのですが、
ここ最近の星回りの影響なのか、
冬至が近いからなのか、
なかなか周りが騒がしい状況が続いておりまして、
そんな様子をこちらの裏ブログで起こしてみる事にしました。

内容はとっぴょーしもないことですよ。多分。
私も「万人の正解である」なんて思っておりませんが、
もしも、もしも、
同じ事を思ったりしている方がいらっしゃいましたら、
薄笑いで眺めていただけましたら幸いです。

愛を込めて
ふゆf:id:fuyu888:20201111183230j:plain

コバエ、ゴミ箱、キンチョール、そして、私。ちょっぴりオマケに銀蝿。

お久しぶりの更新となりました。

ふゆです。

 

今、めまぐるしく環境が変わっていて、ドタバタしておりますが、そんな中、ちょっぴり離島で何もすることのない時間を過ごしています。

 

とはいえ、あと1時間もしたら出掛けるのだけど。

 

家に居て何も無いと

「身体を休めなければ!」

やら

「家事をしとこう!」

やら

ゆっくり出来ないものですが、こう、ホントに時間があると、気持ちが違うものですねぇ。

 

今、#100日ツイッターの会

で、呟いているのですが、早速の三日坊主・・・汗

昨日は移動でドタバタして気付いたら今朝でした。

 

と、いうことで、今日はブログとセットで呟こうと思います。

 

最近よく思うのですが、

日本人は特になのかもしれないけど、

「今の自分の発言から言いたい事を汲み取ってくれ」

なコミニュケーションを求める人が多いなと。

 

これ、よくある引き寄せの法則だと、

 

お、私もそうなのか?!そうなのか??

 

と来るのだけど、私、結構はっきりモノ言うし

(はっきりと言った内容を理解してもらえるかどうかは別として‪w)

そんな含みのある言い方って、してるかなぁって思い返してみると、そうでもない。

 

今朝、共同施設のゴミ箱にコバエが1匹いたのです。

1匹だよ。1匹。

アレ?ハエは、1羽??

で、

そこにゴミを捨てに行ったら、たまたま居た人(顔は知ってる)が、

「コバエ湧いてますよ。キンチョールかけたらいいんじゃないですかね?」

(ゴミ箱そばにご丁寧にキンチョール設置してあった)

「日頃から気を付けていれば、コバエなんて湧かないですよね?」

と、私に。

 

コバエくらい、湧くさ。

何処から湧くかなんて分からないもん。

生ゴミ注意してたって、どうしてかわからないところに居たりするもんでしょ。

しかも、1匹2匹なんてさ、

「湧いた」

とは言わないからね。

と、思ったのよ。

 

で、ふと思い返すと、今朝、私の持ち込んだいい感じにシュガースポットが出たバナナにコバエがふんわり寄ってきてて

「あんたの持ち込んだコバエ、すばしっこいな、もぅ!」

と、なかなかその1匹のコバエを退治出来ず、同行者とふたり、ゲラゲラと笑ってたのね。

 

・・・窓、全開でね 笑

 

聞こえてたんだろうなぁ。

 

と、ゴミ箱前で話しかけられてからここまで3秒位。

即、

「そうですねー」

と、ゴミ箱の蓋開けて、キンチョールシューっとしたら・・・

 

慣れないことはするもんじゃない。

(我が家にはキンチョール自体、無い。その類も、無い。普段から使う事が無い。) 

 

なんと、持つところを間違えて、逆噴射。

何故かゴミ箱に顔を近付けてきてた、隣に居た人の顔に噴射しちゃったというね。

 

もう、言葉も出ないよね。

笑うしかない。

 

「あ、ごめんなさーい。使い慣れてないものだからー。」

とは言ったもののね。

 

私、悪気は無いの。

全然ないの。

 

過去、あなたの同行者が隣の部屋で生ゴミ放置して銀蝿を、文字通り「湧かせた」のを、私は責めなかったのに、コバエ1匹くらいでガタガタ言うんじゃないわよ。

 

なーんて、微塵も思ってないんだからー。

 

結論。

 

足元すくおうとして、キンチョールで追われた残念な人の話でした。

 

いや、私、ホントに悪気はなかったんです。

これだけは、念押ししたい・・・汗

「仲間」という言葉の解釈と信頼のベクトル

ふゆ*ユキです。

100日ツイッターの会はじめました。

併せて、良いタイミングなので

アメブロメインのはてな

という試みも始めました。

ということで、こちらでは相変わらずの毒舌で参ります。

表はこちらへどうぞ。

ameblo.jp

 

本日の満月はストロベリームーンなんですって。

こちら曇天で、夏至も近いというのに、既に薄暗い中で書いてます。

 

そう。

夏至も来る。

 

というなかなかな濃いぃエネルギーの日。

朝からライングループに爆弾が投下されてね。

まぁ、誰かを攻撃する爆弾ではなく、みんなのココロに投下されたバクダンといいますか。

 

いいのよ。

満月だし、

12年に一度のすごいヤツらしいし、

膿だししようぜ!なタイミングのね。

まさに神タイミングのね。

 

と、穏やか~に思っていたのですが、

・・・荒れた ( ´∀` )

 

最近、感情がさほど揺れることもなく、むしろイケメン起因妄想と観劇と動画視聴とその他妄想にあけくれていたから(「自分にとって楽しいことは何かを追及するワーク」ですよ。あくまでもねw)忘れていたんです。

それはもう、すっかり。

 

「怒る」ってヤツを。

 

アメブロの方で触れてるのが現象なのですが、

ここでのキーワードに

「仲間」ってのがあって。

 

いや「仲間」って聞いて、何を思い浮かべますか?

 

後の一部当事者内シェアで「戦隊ヒーロー」という答えが出たのですが、

これは一理ある。

 

今ね、東宝特撮のYouTube無料配信でね、毎週シンケンジャーが更新されてるんですけどね。

まさにこの世界、確かに「仲間」です。

(ふゆ、殿(松坂桃李)から目が離せません)

 

で、仲間とは何かの解釈ですが。

まぁ、色々な解釈があると思うのです。

 

休み時間ごとにお手洗いに一緒に行く仲間

とか

沿線が一緒だから通学する仲間

とか

一緒にランチする仲間

とか

同じアイドルが好きな仲間

とか。

 

ね。

色々。

 

しかしね、本日のふゆ解釈の「仲間」は、そういうんじゃなかったのですよ。

なんというか、

こっぱずかしいけど、

つらい時も悲しい時もうれしい時も一緒に乗り越えたい同士、というか。

一緒にいなくたって繋がってるよ!

的なね。

そう思ってたんだけどね・・・

 

そんな仲間って、ライングループ抜けたくらいで「解散」する?

ねぇ、解散、って・・・

抜けたのはひとり。

残った人間は数人。

 

そこで「解散だね」って言う??

言っちゃう??

 

悲しいやら、むなしいやらね。

で、解散は違うんじゃないの??

って言ったけどさ、なんだかさ、

 

もう、その先、辛辣な表現しか出てこないの。

 

まいった。

私、こんな調子だけど、平和主義の偽善者だからね。

言葉は選ぶわけ。

失礼のないように。

相手の発言に「?んー。そりゃぁ、失礼だぞぉ??」と思っても、

極力失礼のないように・・・

 

結果、本日のパターン、どう考えても信頼してないんだよね。

「うーん。多分私の言いたいことは伝わらないな。こりゃ。」

って、心のどこかで思ってる。

(経験も加味されてるけどね)

 

相手を信じてる自分を信じてないんだな。

 

思っているより薄い「仲間」だったのか??

そう思っていたのか?私?

と、あーあ、な空気。

仲間の解釈どころの騒ぎではない(笑)

 

で、どこに怒ったのかって??

残っている人に失礼でしょ。

「ひとり抜けたからこのグループ解散ね」

ってさ。

残った人間に価値無しかっ!

 

何気に失礼。

きっと解散発言した本人はそんなこと思ってもいないんだろうし、

無意識なんだろうけど。

そうか、そうやって、自動操縦でコミュニティーの中でジャッジしてるのか。

ということにも気付いたわよ。

 

で、コレ、立場変わって、自分が残されて「解散宣言」された立場になったら、間違いなく怒るパターンだよな。。。と思ったのでした。

 

皆様良い満月をお過ごしください。

高みに行くのは、自分自身。他人の評価が高みに上げてくれる仕組みでは、ないのだよ。

ふゆ*ユキです。

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このところ、星の影響もあって

「断捨離」「整理整頓」「整える」

等という言葉をよく耳にします。

 

私もその一環でブログやらツイッターやらを始めたのですが。

「情報の整理」ですね。

脳内断捨離です。

 

しかしね、そこは人間だもの。

「捨てるつもりなかったんだけど、うっかり捨て候補に挙げちゃってて、捨てたつもりでいたら、そこ違うでしょー。ただいまー!と、帰ってきてほっとした。」

とか

「捨てる候補に挙げたくないもののはずなのに、ちょっと勘違いして捨てちゃって、うっかり替わりに入ってきたものが、大昔に捨てたはずのものだった。すごろくだったらば、10コマくらい戻っちゃった感。ヤバっ!」

とか、色々あるように思います。

 

ま、捨てるかどうかを考えてみなければ始まらない話なので、これも断捨離効果の一環という結論には至るのですが。

 

捨てるのにも本気度が問われるのが断捨離の醍醐味でございます。

 

さて、何を言いたかったのかというと。

「捨てたいと思っても捨てきれないものを本気で捨てる気ありますか?」

という話でして。

 

本日捨てるものは

「プライド」とか「ジャッジ」とか「不安」とか「劣等感」とか・・・

そういう言葉で表現される「己の肯定感の低さ」でございます。

 

なーんてエラそうに言っておりますが、なかなか捨てられないものです。

以前よりはずっとずっと減りましたが、今でもたまーにむっくり起き上がって、気に入らない行動をとった相手を「こてんぱん(笑)に、のしてやるわよ~!!」と思う(思った時には既にやっちまってる。。)ことが稀にあります。

未熟ものです。

 

以前は↑をやった後には「はー、スッキリ♡」とか思っていたものですが、このところは「うっかりやっちまった」と反省することが多いです。

 

もちろん「相手に意見する」という行動は必要です。

 

このふたつの行動の違いは

前者は「威嚇」とか「マウンティング」

後者は「コミュニケーション」

で、行動の理由が

前者は「相手に自分を認めさせたい」(相手より自分が優れていることをわかってほしい)

後者は「自らの考えを伝えたい」

ということなのかな、と思っています。

 

感情的か理性的か、

主体が他人か自分か、

とも言えますが。

 

大きな違いが出るのは、この行動の後、他人の行動をコントロールしようとするかどうかで。

どうしてコントロールしたいのかと言えば、他人に自分が「合っているかどうか」を判断してもらって安心したいからなのであって。

「アナタのイウトオリですヨ。」

と言ってもらえたたら

「そうでしょー!ヨシヨシ!」

と、自分を相手より高みに置いて・・・

 

それって、意味あんの?

 

と、思うわけです。

カラくて申し訳ない。

もっというと、正解なんてないのに、無意味だっつの。

 

大事なことなので、もう一度。

 

「あなたの答えは、あなたの中にありますから。」

「誰かに判断してもらうものなのか??」

どうでしょうか。

 

よくあるやりがちな

「自己肯定感を上げるための仕組みづくり」

のひとつに

「『スゴい人』を設定して、そこに並ぶ事で安心する。」

というのがあります。

私も以前はよく「すごいですねー!」と使っていましたが、

最近は発言を促されて

「ヘー。スゴイネー。」

という事が多いです。

言ってほしいんでしょ?じゃ、言うよ。

という、なんと惰性的な・・・(反省)

 

決して「憧れの目標の人」を作ることを否定しているわけじゃないのです。

「なぜ、そこに近づきたいのか。」

の理由が大切なのです。

 

その人が特殊なことが出来る人だとして。

特殊なことがスゴいんじゃなくて、その特殊な能力を生かして何が出来るかが肝心なんだと思うのです。

でも、勘違いしている場合ってその「特殊なことが出来る」にフォーカスしちゃうというか。

その人の「特殊なことが出来ること」と同化しようとしちゃうことで、自分の価値を上げようとするというか。

 

だーから、他人に自分の指標はないんだってば!!

「みんなちがってみんないい」んだってば!!

と、声を大にして、言いたいのです。

 

もっと自分をほめてー!!

誰かに褒められるのは、もちろんうれしい。

うれしくない人なんて、いない。

でも、自分が納得しているか、自分が満足しているか。

そのほうが、よりいっそう自分を豊かにすると思うのです。

 

写真は、どうやっても横になっちゃう、木です。

ちょっと首をかしげてみてください。

ね。

上下って、こんな簡単にひっくりかえっちゃう。

(と、横になったままの写真を肯定してみる(笑))

 

 

 

 

 

 




自分を一番良く知っているのは自分だって、本当はみんな知っている。

ふゆ*ユキです。


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朝、ツイートしたら、なんとなく昨日の記事から関連した内容でルーシーグリーンさんがブログ書いてました。

(ふゆ、リツイートしてるので、⇒からどーぞ。木星について。)

ツイッターの「言いっぱなし感」がいいなと思って使い始めたのだけど、イマイチ使えてない。

フォロー歓迎。ツッコミも歓迎(笑)

 

同じくインスタも気持ち新たに立ち上げてみたものの、少しずつ写真増やしていきます。

よかったらフォローお願い致します☆彡

 

さて、本題。

 

昨日もちらっっっと書いたのだけど、

「自分が主体か、他人が主体か」

って、大事なことで、

「私、どうしたいの??」

追及って、割と多くの人が意味わからなかったりします。

特に「お母さん」

こどもイチバン、自分二の次がクセになってるもんね~

私もそうだけど…

 

とはいえ、自分を知るための第一歩は、自分が「今」何をしたいのかを良く知ることだと思う。

コレ、結構色々な人が言ってるけど。

 

実践している大御所は

子宮委員長はるちゃん(もうすぐ引退しちゃう!ブログも見るならいまのうち)

とか、

はるちゃんのもとダンナさんの岡田哲也さんなんかも言ってる。

本も出してる。

 

と、様々な方がそれを伝えようとしていて、いろんなセミナーやらなんやらしているわけです。

 

要は、私なんかがニワカで書くよりよっぽどわかりやすいのでそちらをご覧ください、ってことなんだけど。

 

でもねぇ、いっぱい勉強していても、肝心な

「だから、誰のために生きてんの??」

というところになかなかたどり着かない人、多いなと思うのです。

 

「自分と他人を比べて、優劣をつける」

人間、だれでも負けるよりは勝ちたい。

まぁ、勝負ならそうでしょう。

私だって、仕事で競争があるなら、勝ちたいわ。

運動神経ないから、運動会での勝ち負けはこだわったこと無いけど(笑)

 

しかしね。今ココの生活も人生も自分のもので、他人と勝負するためのものじゃない。

そこから抜ける感覚って、修行だなと思う。

 

このへん、どうなんだろう。

 

人生の勝負の勝敗なんて、きっと死ぬときじゃなきゃわからないよ。

多分ね。

 

写真は、飛行機で飲んだビール。

茨城の地ビールらしい。

機内販売のおやつと一緒に。

行きの飛行機限定の、私のプチ贅沢です。